OFFICE風太郎

日本のエンジニア、風太郎です。問題解決が飯のタネです。仕事や生活で問題解決を活用したり、問題解決の基礎となる統計とかデータ分析の話をしていきます

大学で学んだこと-大学が必要か否か?の1sample(前編)

大学に行く価値

 少し前にバズった言葉として大学に行くことの価値というものがありました。
 ネット上で一種の”議論”の様な状態になっていました。こういう風に、自由に意見を出して、議論できるのは本当にいい時代になってきたと感じます。
 せっかくだからいい議論になって、今の中学生以下なんかに「ネットでこの記事読んで進路決めた」なんていうことがあったら最高だと思います。
 そういう意味で、ちゃんと読んで考えないといけない情報、まぁ読み飛ばしていい発言の見方を自分なりに考えてみました。視点としては「問題解決」を行っている身から出たものです。そのため、異なる意見も多いかと思います。
 問題解決は企業で成果をあげている考え方なので、意味はあるという自信(過剰?)もあり記事にしました。

議論のポイント

  風太郎は問題解決でお給料をいただいています。そこでは議論が必ず必要になります。そのため、どういう風に議論していけばいいかというのも慣れていいます。相手を攻撃するのは快感となる(参考文献1)のですが、攻撃と防御では議論になりません。また、議論のためのセオリーも大事です。  例えば、「言ったことに責任とれ」とか「責任取れないのにいうな」なんていう感情的な発言もあります。どうしても議論が白熱すると感情がでてしまします。感情が主体になれば議論が進みません。出てしまったら収めましょう。また、この責任をとれ、という言葉は議論を進めるのには悪いことです。議論の場での発言に対しては責任取らない方がいい議論ができるといわれています。その一例として責任を取らないというルール付けもあります。(参考文献2)責任は意思決定した人、組織が取るものでしょう。
 じゃ、議論に何が必要か?と考えると、いろいろなことがあります。その中でベースとなるのは「事実」と「合理性」でしょう。これを元に、議論を進めていけばお互いの意見を理解することができます。理解して新しい意見や合理的な考えを産み出すことができれば議論の価値があります。それを繰り返していけたら最高です。
 「事実」っていうのは理解しやすいし、人によって考えもあまり異ならないでしょう。しかし、「合理性」というと悩む時があります。これについてよく考えてみます。

議論に必要な合理性

 まず、合理的に考えるのは、いろいろな人が「これは正しい」と考えた手順に従うのがベストです。科学の世界はシンプルです。理論があって、それを実験によって検証しているからです。また、実験結果からそれを説明する合理性を見つけることがあります。
 実はこれ問題解決の世界、議論の世界でも通用するんです。自分たちの方法論を”理論”と称している方々もいます。こういう風考えている本の一つが(参考文献3)です。この書籍でエビデンスと言っていることが「事実」です。このは次の大きな二つのパターンになります。「一つの事実」か、「複数の事実をまとめたもの」か、です。
 ここで大事なのは事例だけで議論にはならないということです。例えば、事例だけでAさんは大学行って役にたったから、大学は必要だ。Bさんは大学に行って役に立たなかったから大学は不要だ。といった内容です。
 そこに合理的な理屈がないと議論にはなりません。結果だけを論じて役に立った証明、役に立たなかった証明にはなりません。Aさんなら、Aさんがどういう状況で、何を目的として、どう行動して、結果どうなったか?それに対して大学が役だったかどうか?という事実が必要でしょう。そういうことがあると、「この場合は役に立った」となり、それが一般的な状況であれば「大学は役に立つ」という根拠の一つになります。特殊な状況であれば、それは特殊な状況だからあまり参考にならないということになるでしょう。しかも、今時代は平成も終わりつつあります。昭和の様な画一的な時代ではなくて、多様性ははるかに進んだ時代です。いろいろなパターンで、考えることが大事な時代です。前提条件を明確にせず議論することはよくないと考えます。
 もう一つ大きいのは誤差というかばらつきの問題です。多くの人が当てはまることでも、ある人には当てはまらないことも多いでしょう。そういったものには原因があるはずです。しかし、人一人全てを記述するわけには行かなくて、多くの人と差がでます。それを工学的(品質工学的と言った方がいいかもしれません)には「誤差」「ばらつき」と言います。

 次のような事例はこのばらつきを考えていないことです。
「大学を出た方がいいよ」ということに対して
「米国のIT起業家の多くは大学を出ていない」という反論です。


 彼らは特殊な人たちです。だからこそ個人の名前が出てきます。一般的な人たちとは違います。一般的な人とは離れたばらついた人たちです。ですから、一般に当てはまるような事例とは
その逆の様なこともあります。 「大学は出た方がいいよ」いわれても、正確には 「(多くの人は、大学に入学したならば)大学出た方がいいよ」
 でも、それを悩んでる人にとってはどうなんでしょう?本当に卒業まで我慢した方がいいのか、それとも中退して自分の道を行った方がいいのかわかりません。一般的には「大学を出た方がいい」から、「あなたも大学を出た方がいい」という言い方は間違っています。
 こう言った視点から議論した方が、読んでる人の役にたつ議論になると思います。

じゃ、どうする?

 ここまで、書いて、風太郎はどうその議論に対して貢献するんだ?と考えました。
文字数が多くなってしまいました。本当に書きたいことはこの全体と同じぐらいの分量があるので後編としてアップします。
 次に書くのは風太郎を一つのサンプルとしています。できるだけ合理的に考える様に、大学に行く目的、実際大学で行ったこと、結果を一事例(sample)として書いてみます。

参考文献1 シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感 (幻冬舎新書)
風太郎のレビューhttps://futaro.hatenadiary.jp/entry/book/201810/hiki

参考文献2
免責特権 - Wikipedia
趙匡胤 - Wikipedia(石刻遺訓参照)
参考文献3
残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する
風太郎のレビュー 成功法則は決して残酷じゃないーー残酷すぎる成功法則 - OFFICE風太郎